縁というもの
奏です。
木曜~今日も神奈川は秋晴れに恵まれた午後となっていて、心地よいです^^
ご来訪下さっている皆様の地域はいかがですか?
「この人とは縁はあるでしょうか?」
セッション中に頂くご質問の中でも、頻繁に遭遇する類のご質問です。
その度に必ずお伝えさせて頂くのは、「縁があるからこそ出遭っている」ということ。
恋愛・結婚・友人・家族・先輩や後輩などなど、全ての人間関係は縁あっての必然。
それは大きく二分化されていて、良縁なのか因縁なのか・・・の部分です。
物質的な距離感や関わり方。
また、お互いの生涯サイクルのテーマ×現行のサイクルの掛け合わせ。
この2点をどう活かすか(あるいは配慮~注意するか)で、構築される縁のデザインは変化します^^
ただ、先ず見極めてあると縁のデザイン方法を模索しやすいのは・・・
やはり双方が生まれ持った内外の波動色のバランス。
共感・共有・共鳴の引力基盤があるのか否か。
あるいは、違うからこそ発見や拡大をさせて行けるのか。
(この点は相性の良し悪しは全く関係ありません。
前者の場合は、大吉か大凶かが極端になりがちです。)
ここ1ヶ月ほど、私自身も縁というものを改めて考察する機会に恵まれました。
当初から「これは小さな匙加減でも間違えると、因縁に成りかねない」と認識しながら細心の注意を払って対峙させて頂くも、やらせて頂けることがあまりにも無さ過ぎること。
私自身に何も権限も無く、機会も作れ無いこと。
策を講じても何の効力も発揮されず、尽くタイミングに合わせようが無かったこと。
こうした悪条件が重なると、最終的には残念ながら因縁と成ったことを認識せざるを得ない。
そんな中で私的に大変お世話になった方が他界されました。
どんな方向性でも居場所でも、「尊敬し憧れた方々に見られても恥ずかしくない在り方をすべき」であると、心を新たにしているところです。
★本日のレシピ★
誰か(何か)と出会うのは、その人(事柄)との縁にそもそも恵まれているから。
縁が無ければ、出会い(遭遇)そのものに恵まれない。
深められるのか、引き剥がすのか。
構築できるデザインは?
客観的にお互いと関連する事柄~背景を見極めて、向き合う・見守る・引き剥がす・送り出す・・・等は、感謝と責任を持って選ぶことが大切。
依存心~共依存を責任転嫁の言い訳にはしない。
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