奏(かな)のFORTUNE RECIPES! 

占いセッションワーカー/奏のコラムです。

下弦の月の灯りを感じながら

奏です。お久しぶりの更新です。
残暑お見舞い申し上げます!
今年はやはり酷暑だそう。閲覧くださる皆様お元気でしょうか。




今日のバースデイムーンは【下弦の月】。
座相は牡牛座です。
崩壊と構築、信念と責任感を強く持ち、理想高く邁進すべくサイクルです。
基盤となるのは正義感からの視点。
そして座相は牡牛座ですから、決して諦めない努力の姿勢。
即、答えが出ないことであってもコツコツじっくりと。




この下弦の月の引力を感じながら、今日はここで閲覧してくださる皆さん、
そしてご依頼者の皆さんと考え、分かち合えたらと思うことを書いて
みたいと思います。
(奏の別名義メインブログ、完全プライベート使用のSNSで書いた記事を
まとめて編集・加筆したものです)




連日ニュースの続報が流れている、【大阪2児放置死事件】に
ついて・・・

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100731-00000012-mai-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100731-00000907-yom-soci
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100803ddm041040125000c.html

奏は別名義の個人セッション(ボランティア含む)や、プライベートでも
多くの虐待被害経験者の方々や性暴力犯罪被害経験者の方々、またそれを
サポート支援されている方々と多くご縁をいただいています。
今回の事件をニュースで知った時、いつも通り激しい怒りと絶望を感じました。
私はセッションワーカーという役割をエキサイトさんでも日頃させていただいて
いますが、それ以前の個人的感情として、です。




この事件は【放置死】つまり育児放棄(ネグレクト)によるものと
カテゴライズされていますが、ある意味では凶悪犯罪以上に残忍卑劣な
むごい死に方を強いられた小さなお2人のお子さんを思うと、
立派な虐待殺人ではないかと思わずにはいられません。




ただでさえエアコンが効いていないのではとすら感じるほどの酷暑、
一思いでなく、じわじわとまるで拷問のように死に至らしめられた
小さな小さな姉弟
どれだけ寂しく、悲しく、不安で、心も体も苦しかったか・・・




今年1月にも木星魚座へ移行し、天王星と重なった頃から特に
ほぼ毎日のように虐待関連のニュースが流れるように。
(それは今現在も牡羊座で重なりながら、交互に運行中です。)
魚座の弱点的特長、現実逃避願望。
それによる他(人・悦楽)への依存傾向の強さ。
そして他へ優しい代わりに、自分へも非常に甘くなる傾向。
天王星の影響と合わせると、秩序を乱して安住の地から暗闇へと
堕ちていく流れ。
星の影響から理論解析すると、こうしたことが明確なのです。






そして、ここ最近で報道される虐待加害者たちの、ある共通項。
バブル期に【有頂天となり狂喜乱舞し、多くの意味で傲慢に思い上がった
人々が含まれる】世代。
同時に、そうした世代の子供として生まれた世代。
これらが虐待加害者となっているケースが非常に多いこと。






耳を塞ぎたくなるような、あまりにもむごすぎるニュースばかり
ですが、こうしたことが取り上げられ報道されることそのものは、
良い兆候だと思いたい。
あくまでも氷山の一角にしか過ぎないだろうことが判っていますから。
報道されることで、そのむごい現実の当事者の方々だけでなく、
周囲も善い意味で敏感になり、専門機関への報告や当事者の方々への
ケア〜心身の傷みに沿う意識が高まる。
それは紛れも無く良い兆候です。
そう思いたい。




この【大阪2児放置死事件】の加害者である若い母親の生年月日が
判らないので、現行の星回りと照らし合わせることができませんが、
ほぼ間違いなく影響を受けているでしょう。
既に供述からも「現実逃避したかった」という内容があると報道されて
います。
むごい仕打ちを小さな姉弟にし始めたのも今年1月からとの報道、
魚座木星天王星の動きとぴったり必然的に。




人知れず心身の傷みと地獄の苦しみに泣き叫ぶ子たち。
洗濯機に我が子を入れる母親。
我が子の背に火をつける父親。
育児放棄し蒸し風呂のような部屋に我が子を置き去りにする母親。
じわじわと死に至らしめる・・・
こんなむごいことを思いつく、ある意味で斬新な狂気に満ち溢れた感性。
己の思うがままに事が進まないと不満を覚え、こうして他へ(この場合は
子供を指す)理不尽な我欲と横暴を巻き散らかす。
地に足のついていない、濁りきった狂気。
傲慢で稚拙で無責任で、あまりにも安易で。
親子というのは上下関係では無いはずなのに、こうした親たちは
無自覚に我が子を上から見下ろして、残虐かつ支配的な扱いを
小さな子たちに強いる。




そして何より、こんな名ばかりの親であっても、子供は最期の
時刻までギリギリのところで求愛し、心を傷めていたはずであること。
その声は届くことはなく。




児童相談所や施設に子を一時保護したり、自宅に訪問しても、それは
対症療法に他ならない。
子供を安全なところへ保護した上で、狂気の根本である名ばかりの
親たちを正気に正さなければ、何100回でも同じ事を繰り返すのだから。
日本の虐待に関する法律や対応はあまりにも遅れすぎています。
加害者の狂気の根源への解析もケアも刑も、極端に甘い。




毎年この時期はパチンコ屋の駐車場に置き去りになって
死んでしまう子供たちのニュースが定例でした。
今年はそれが少ないと嬉しく思っていました。




奏個人として、【パチンコ屋などは 身分証明書を提示させて
未成年の子供が居る人間は出入り禁止】にするなどした方が良いなと、
前々から感じていました。
が、この事件で ホストクラブも同様になればいいのにと。
理想論でしょうが・・・


現実逃避の悦楽に大金を使う客たち。
子供が居ない女性なら、自堕落に陶酔していても
それは自己責任であり同情はしません。
時に人は行き着くところまで行き、壊れなくては解らない
〜気付けないことがあるからです。
でも、それはあくまでも独身・小さな子供が居ない
条件に限定するとして・・・




でも何の罪もない子供たちが、ある意味で凶悪犯罪以上に
残忍な死に方を強いられ、加害者である親たちはのうのうと
生きている。




この事件もそう。
続報を目にする度に落胆させられます。
「大事な人を亡くした」と言いながら、自己保身の嘘を上塗りし
引き続き逃げていた事実。
言葉では何とでも言えるものです。
どんな綺麗事を言っても、声色や目の濁りは決して隠せないですし、
大切なのは行動。
本当に心から大事に思う人(お子さんたち)への真心こめた行動。
大事なら亡くなった事を確認しても尚、放置したままでいられる
でしょうか。



飢え、渇き、暑さ、そして大好きであっただろう母親が帰らない
不安と悲しさ。
気の遠くなる長い時間を苦しみ、最期のギリギリの時刻まで
声を挙げ続けた子たちの心身の傷みと痛みは想像を絶する。





両親揃っていても、育児が大変と感じることは確かにあります。
が、親(上)子(下)というような上下関係ではなく。
対等な人間関係であり、物理的にお世話をするのは役割であり
親という権力の元ではない。
そうではいけない。絶対に。
親が責任や役割意識でなく、歪んだ方向へと自己過信する時、
こうして我が子をむごい現実へと追いやってしまうのだから。





つい先日、2歳くらいの坊やとそのお姉ちゃんに当たる女の子を
連れた母親(30代後半位)と通りがかりに遭遇しました。
その坊やがお水をこぼしてしまい。
するとその母親は「ふざけんなよ!なんでママを汚すんだよ!」と
坊やとお姉ちゃんは一瞬かたまって泣き出した。
追い討ちをかけるように母親は「何様なんだよ!」
と怒鳴り続け、「むかつく!許せねえ!もう帰る!」と。
そばに居たおばあちゃんらしき女性は「ほらママを怒らせちゃ駄目
なんだよ。帰るよ」とお子さんたち2人に声をかけていた。
完全に全てが間違っていると感じたのは言うまでもありません。
「何様なんだよ」?
いや、あなたが何様なのか。
その醜悪で狂気に満ちた声がしばらく私の耳にもこびりつき、
離れませんでした。
虐待加害の予備軍と言っていいでしょう。





この母親も、今回の残忍という表現でも足りないニュースの母親も
共通しているのは傲慢さ・稚拙さ・安易さ。





こうした虐待(予備軍も含みます)を加害するパターンは
大きく二分化しています。
1つは加害者自身も機能不全家族育ち。
つまり、親に虐待されたり愛情不足を経験して、我が子にも同じ事をする。
(逆に、虐待〜愛情不足の経験をしたからこそ、我が子には同じ思いを
させたくないと努めるケースもたくさんあります。)
もう1つのパターンは、正常な 愛情でなく過保護(与えられすぎ)
が当たり前という 物差しが出来上がってしまい、幼少から培われたそれが
「何でも自分の思い通りにならないと嫌!」となる。
つまり子供のまんま肩書きだけは‘親’となってしまったパターン。




この2人のお子さんたちの声を聴き、通報した周囲の人たちの行動。
それへの対処をしきれない児童相談所と警察。
尋常でない泣き声を連日聴いて通報を受けても、踏み込まない。
法律のせいか?責任転嫁か?
生存の可能性あるうちに、術は必ずあったはず。





風俗の仕事を務める女性たちとも度々ご縁がありました。
そして私自身は風俗に偏見はありません。
皆様々な深刻な事情を抱えて、それを務めざるを得ない状況に
居た方々が8割だったこと。
そして真面目に務めるならば、究極の接客業であるから。
個人的感情では多くの意味での健康が気がかりにはなりますが、
心も体も酷使する仕事を、まして我が子のために決意するというのは
並大抵ではないと感じます。
小さな2児を死に至らしめた母親もそのはずで・・・




話は少し反れますが、よく「風俗に堕ちる」という表現がなされますね。
何故でしょうか。
【自己否定感覚や自虐的にしか捉えられず、少なくとも‘親’という
肩書きを持つ、立場の人はやるべきではない】仕事なのかもしれません。
堕ちる等という感覚でなく、我が子との日々を守る為に信念を持って
選んだ仕事=風俗なのであれば、何1つ恥じることもなければ
堕ちることも決してない。
どんな仕事も大変さの種類が違うだけで、お金をもらう以上
楽な仕事など何1つないです。




我欲の為に他を、特に小さな子供を巻き込むことは絶対にあっては
いけないことです。
役目柄、理論上は加害者の根源も行動も解析して理解はできます。
でも分かち合うことはありません。
すべきでもないとも捉えています。
でもやっぱり理解はしなければならない。
こうしたむごい現実を引き起こす人たちのことを。
何故彼女たちが狂気に甘んじて横暴を遂行したのかの根源を理解し、
周囲が的確な判断をしてきちんと対処せねば、この風潮は増えることは
あっても消えることは決してないでしょう・・・




今日はとても長文になりました。
最後まで読んでくださった皆さん、どうもありがとうございます
m(--)m

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